最近は、呑気に婚カツ記事なんて書いてる自分がアホに見える今日この頃…。
それに至るまでの話。
それは婚カツを始める前の話。
母の日の出来事です。
小学校高学年だったかな?
子供から一通の手紙をもらいました。
「母さんは母子家庭なのに、月1日しか仕事を休めない時もあったのに、いつも“自分のやりたいことをやりなさい”そう言って、働いたお金も、少ない休みも私のために使ってくれた。
これからは母さんは自分の好きなこと、やりたいことをやってほしい、そう思っています」
今でこそ、週休2日でのほほんと働くmouですが、
当時は必死でした。
何せ子供にお金がかかります。
夜は子供の塾の送迎。
休日は副業の日々。
たまたま子供と焼き肉を食べに行った時、私がポロリと漏らしたんです。
「子供に可哀想な思いをさせたくないから、我慢して1人で頑張らなくちゃ」
そしたら子供が怒った。
「子供のために我慢してるとか犠牲にしてるとか、そういう風な言い方されるのは、
すごく気分が悪いわっ。
お涙頂戴なんていらない。
自分のやりたい事を、やりたい様にやればいいんじゃない。
私達もやりたい事を、やりたい様にやる。
それで、いいんじやない?」
私の言葉が間違っていました。
mouは良い母親になんぞなりたくないのに、我慢までして、無理して、なっちゃいけない。
それは子供のためになんかならない。
私は子供に夢中になってはいけない。
mouは子供のために自分を犠牲にしたり、自分を殺したりしちゃだめ。
子供もmouのために良い子を演じたり、我慢しないし、mouに尽くす必要なんてない。
そんな苦労なんていらない。
クサい親子美談なんていらない。
親子それぞれが“ありのまま”の形でなきゃ。
自己犠牲とか献身とか、聞こえはよくても、結局は、一周回れば自分のため。
どこか無意識に子供に見返りを求めているのでは?
私は、これだけやってるんだ。
子供思いの良い母親なんだから、
あなたも、母親思いの良い子供になりなさいよ。
無言のプレッシャーを子供に与えているのでは?
あるいは何でも、子供がいることを言い訳に、出来ない理由を作って逃げているだけ?
それではいかん。
子供がどうした。
そんなの私の足枷になんかならない。
そこを越えたい。
私は自分のために生きるのが、当たり前で自然なこ
となんだから。
間違っちゃいけない。
その時から、恋愛に限らず何事も、子供を言い訳にしない自分になろうと決心したmouです。
子供という存在は、不思議で、
いつも私を導いてくれる。
一言だけ、ここでコッソリ言いたい。
お前、どんだけ偉そーやねんっ!
生意気なガキめっ!