子供が行きたいと言い出したもので、出雲大社から石見銀山へと向かいました。
島根県大田市にあり、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)です。
最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも言われています。
その頃は、石見銀山を中心に栄え、約20万人が暮らしていたとも言われています。(今は人口数千人の山合の集落です)
が
今はもう当時の面影すら感じ難い。
車では銀山に近づけないため、下の方の駐車場に車を停めて、そこからは徒歩45分またはレンタル自転車で緩やかな坂道を坑道へと登っていく事になります。
坑道に近づくと気持ち悪い様な、悪寒が走るような(・・;)
ただただ恐怖です。
怖いです。
泣きそうです。
大きな坑道の途中に、ひおい抗と呼ばれる鉱脈を追って掘り進められた横穴の様なものが沢山あります。
人1人が入るのがやっとの様な狭い穴です。
こんな真っ暗な穴に入ってノミでコツコツと採掘するなんて、過酷です。
暗闇の中、サザエの殻で作った灯りだけを頼りに作業が行われていたそうです。
油煙や石塵を吸い込み、暗闇の劣悪な環境での過酷な労働です。
湧水や落石で生き埋めになることもあるでしょう。
当時の鉱夫は十分な食べ物と裕福な暮らしを与えられていたらしいですが、それと引き換えに短命で30歳まで生きられた鉱夫は、尾頭付きの鯛と赤飯で長寿の祝いをされた程だったと言います。
そして前面には出されていませんが、銀を盗み出そうとした鉱夫は公開処刑され晒されていた様です。
そして重病人となった者も捨てられてお仕舞い。
そこらじゅう寺だらけなのも頷けます。
この様に多くの人の命を犠牲にして、時の権力者は銀山の覇権を争い、栄華を誇っていたわけです。
人の欲深さに悲しくなる様な場所でした。
そして20万人が暮らしたと言われる、この場所が廃れ錆びれている様を目の当たりにして、いつまでも続く栄華などないのだと感じることができました。
(※こちらは銀山近くの清水谷精練所跡)
ガッカリ世界遺産とも言われる石見銀山。
確かにどんよりと心が重くなる場所です。
しかし学ぶが多いのでは?と思います。
目の前の美味しい食べ物と引き換えに自分を売り渡す鉱夫。
鉱夫に銀を掘らせて、大儲けの権力者。
世界の構図は今も、さほど変わらないと気づかなければなりません。
退職を控えたmouにとっては…
決して売り渡してはならないモノもある。
自分の人生を振り返り、身が引き締まる思いがしました。
簡単なレポで申し訳ありませんが。